過去と正しく向き合い、自分を楽にする2つのコツ①

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過去と正しく向き合うには

幼少期から大人に成長する過程において、非常に辛いことや悲しいことを経験し、それらがトラウマや劣等感になってしまい、今も悩んだり苦しんでしまうことはありませんか?

特に、家庭や学校等の自分でコントロールするのが難しい環境下や、不慮の事故や病気、怪我等により、辛い思いを経験すると、自分はなんて不幸なんだろうと思ってしまいますよね。

何か問題が起きたり、嫌なこと、辛いことに直面すると、素直に受け入れることができずに、何かのせいにしてしまうことは誰にでもあると思います。

以前の私もその内の一人でした。

 

私の場合は、小さい時からスポーツにおいては大の負けず嫌いで、とにかく自分が突き抜けていないと嫌で、そのために一生懸命に自分を磨くような少年でした。

自己鍛錬により、マラソン大会では小学校1年生から高学年になるまでずっと1位を取ることができ、運動会のリレーでもアンカーが定位置で、そういう場面で活躍することで自己満足を得ていました。

それは決して悪いことではないと思っていたのですが、いつのまにか「自分は優れている」と思うようになり、プライドが非常に高い小学生になってしまいました。

また、スポーツのみならず、自分に自信が持てるものについても、「自分が正しい、間違っていない」と考えるようになり、自己中心的に過ごしていたので、5年生の頃には周囲のクラスメートも離れていき、孤立することが増えるようになりました。

この頃から、自分は「友達がいない」「周りから嫌われてしまう」と落ち込むようになりました。

長期休暇の時、特に夏休みは長いので、その間、遊ぶ友達もほとんどいなくて、毎日、暇しているのはとても辛かったことを覚えています。

この小学校に感じていた疎外感や孤独感は、大人になっても抱いていた感情です。

 

「寄ってきてくれる人が多くない」「こちらが好意を持っていても相手は離れて行ってしまう」といったことは大学生や社会人になっても何度も経験し、「自分には魅力がないのかな」と、自分に自信を持てない人間になっていたと思います。

また、自分が正しいと思うことは曲げずに貫き通したり、他人が間違っていると思うことは間違っていると批判していたので、周りとよく衝突することがあり、孤立することも多かったです。

こうなると、何か自分に落ち度があったり、目新しいことをやろうとすれば、必ず周りからの厳しい目を受けるもので、「なんで俺のことを批判ばかりするのだろう」と納得できない日々が続き、一人で複数の人と戦うこともありました。

 

ここまで読んでいただいた方にはお分かりかと思いますが、私が感じていた疎外感や孤独感、自信の無さは、自ら引き寄せたものであって、自分を正当化したいが故に、何かあれば他人のせいにする思考を持っていたからであります。

私は40歳になって、ようやく自分の至らぬ部分が理解できるようになり、対人関係で悩んだり苦しんだりする状況を一変させたいと、いろいろな本を読み、自分の人生について深く考え続けました。

半年間程でしょうか、自分をとことん見つめ直して、自分はどうしたいのかを自問自答し、ようやく導き出した私の目指す生き方が、「ゆるく生きながら、自分スタイルで楽しむ」というものでした。

一度きりの人生なのだから、苦しみながら過ごすより、肩肘張らずにリラックスして、他人の目を気にすることなく、自分のペースで毎日を楽しみたいと考え、そのためには過去、現在、未来のそれぞれに正しく向き合うように努めました。

今回は、「過去と正しく向き合い、今の自分を楽にする2つのコツ」というテーマで、2記事に分けて自分なりの見解を述べていきたいと思います。

 

1.過去の経験に対して、自分なりに意味づけをしてみる

過去に経験したことが原因で、何かができなくなったとするのなら、同じ経験をした人は皆、その何かができなくなるということになると思います。

例えば、子供の頃に親から褒められることがほとんどなかったから、自分に自信が持てない人間になったと言うのなら、そのような経験をした人は全員、自己肯定感が低い人間に成長するはずです。

つまり、過去に起きたことが未来を決定する、原因が結果を決定する、ということになりますが、本当にそうでしょうか?

確かに、過去の経験により心に大きな傷を負い、現在の人格形成に影響が出る場合もあると思います。

しかしながら、なんとか乗り越えようと必死に向き合い、トラウマを克服してしまう人も存在するものです。

よって、過去が現在や未来を決定するのではなく、過去に経験したことに対して、どのように意味づけをするかによって、その後の人生はいかようにも変えられるのではないでしょうか。

 

社会人になると、仕事の成果やマネジメント力、個人スキル、提案力、人間関係等、その人の能力や価値を会社からジャッジされるようになります。

同期入社でも、どんどん出世する人もいれば、後輩に追い抜かれてしまうこともあり、居場所がなくなり、辞めていってしまうのが社会の実情です。

うまく行っている時はポジティブに取り組めるものですが、大きな失敗をしてしまったり、お客様からクレームを何度ももらったりすると、落ち込んでしまうか、時には素直に受け止めきれずに言い訳を探すこともあると思います。

私は過去にお客様から大クレームを受け、社内でも冷たい目で見られ孤立したことがありました。

また、担当している業務において、協力業者から大反発を食らい、それが会社に知れ渡ることになり、降格処分を受け、業務における権限をほとんど奪われてしまったこともあります。その後の私への理不尽な扱いはひどいものでした。

 

いずれのケースにおいても、私は「悪い部分もあったが、正しい部分もあった」とか「難しいお客だから仕方ない部分もあった」「そんなこと言ったら協力業者だって落ち度なんて沢山あるじゃん」のように、現状を受け止めきれずに、自分を正当化するための言い訳を探していたんですね。

それは、自分を正当化しないと周りから言われたい放題になるし、あることないことまで言われてしまったり、孤立することへの恐怖を味わいたくないが故の保身行為だったと思います。

その根底には、自分は過去にもこういう不遇な環境に陥ることを何度も経験していて、そういう星のもとに生まれたという思い込みがありました。

 

また、先ほどの権限の話になりますが、「降格人事により権限まで奪われたから、自分らしく仕事をすることができなくなった」という思いをずっと持ち続けていました。

「私はなんて不遇な状況にいるのだろうか。権限も奪われたのだから、もはや鎖に繋がれているペット同然だ」と不貞腐れる時期も長く続きました。

しかしながら、そんな風に考えて状況が良い方に一変することってないんですよね。

なぜなら、私が問題を起こしたのは揺るぎない事実なのですから。

 

過去の辛い経験のせいにしたり、できないことの言い訳を探すのではなく、過去から何を学び取り未来の自分に生かすべきかを考えることの方がよほど有意義で、失敗も糧になるのに、そのように考えられるようになるまでは沢山の時間を要しました。

いろいろな本を読んでいる中で、私のネガティブな考え方を改めるきっかけになったのが、「嫌われる勇気」という一冊の本です。

その本の前半部に「過去に支配されない生き方」という小見出しがあり、読み進めると「過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくる」と書いてありました。

要は、自分の過去との向き合い方によって、良くも悪くも現在の自分が決まるということです。

 

過去に経験したことは辛かったし、憤りもとてつもなかったし、そんなことばかりが頭を支配していた時期もありましたけど、そういう時期も私には必要だったと思います。

周囲から孤立し、批判され、やる気をなくしてしまうほどの降格人事等においても、きっと私の至らぬ部分や卑屈に考えてしまう思考癖を見つめ直すために必要なことだったんだろうなと今では思えます。

過去の辛く苦しい経験は、解釈の仕方次第では、大きく飛躍するための発奮材となり得ることだってあると思います。

 

いつまでも過去に苦しみ続けるより、自分なりに過去を正しく解釈して、良い方向に歩みだすことができれば、道は開けてきます。

苦しみやストレスを減らすことができれば、心にも余裕が生まれますし、余裕が生まれれば、もっと過去とも正しく向き合えるようになると思いますよ。

 

次回へ続く

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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